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5.質疑応答
それでは始めたいと思います。
福本さんお願いします。

福本さんは3月21日からヘリコプターで、医療支援ということで4日間行ってきました。
現地のお医者さんと、地区の機動自衛隊と調整に行かれました。

経験してきて、我々の頭の中では考えられないことが沢山ありますので、どうぞ宜しくお願いいたします。


【相模原ローターアクト:福本】
東北太平洋沖地震の支援活動ということで、少し資料を作らせていただいて、情報の交流と報告をさせていただければと思います。

こういう機会をいただき、ありがとうございます。

先ほどお話しがありましたけれども、1900年以降東北地方では大きな地震はなく、東北地方は大きな地震を想定していなかったんですけど、地震に連なる様々な自然現象、それから原発事故に伴うものという形で被害がもの凄く大きくなっております。

警察庁のHPから調べてきたんですけど、建物の全壊が58304、道路の損壊が3405と凄く大きな災害だなと、人一人が何とかできるものでもないし、専門のスキルを持ってる方でも長期間かかるという見通しです。

地震発生後のアムダの今までの活動と、被災地の現状と調整員としての働き・動き、それから今後どうしていくかといった流れでお話を進めて行きます。

地震直後からの活動ですと、当日とすぐ3日間位と被災地に行ってと5つ位に区切ってまして、1番目から順に説明をいたします。


私は「ジェイワシック」というのを立ち上げまして、「日本のローターアクトはこういうことをやっていくよ」という話をするアクトなんですけど、そちらの議長を僕がやることになっていたので、安否確認を行いました。

地区のローターアクトクラブに、すぐに連絡を取る仕組みをニュージーランドの地震の復興支援で作っていたので、たまたま使い慣れていることもあって、すぐに15分20分位で安否確認を要請しました。

ニュースを見て『震度7』ということで、「これは何かやらないといかけないなぁ」と思い、とりあえず仕事をやるのをやめて、ロータリーの人達が活動されている内容だとかを載せる特設サイトをすぐに作りました。

重複しないアクセス人数で、約20日間で5000人もアクセスしていただきました。

普通のローターアクターは4000人位なんで、ローターアクターを丸々超えるアクセスをしていただきまして、見ていただけたということで感謝しております。

こういったサイトを作ったのは当日で、次の日からは大学時代の友人と一緒に『震災レポ』っていうのを作りまして、これはハイチの震災の時に現地に何が必要とされているか分かりにくいという話があったので、今回の地震にも急遽作りました。

ここの海底地図を作ったりだとか、レポートをイタズラじゃないかきちんと見たり、Googleの提供している大震災の情報と照らし合わせるなど、デスクワークをかなりやりました。

3月15日に、全地区ローターアップダイヤルから安否確認の連絡がありまして、宮城・福島・岩手含めて、全員無事な確認が取れましたというので落ち着いた状況です。

色んなプロジェクトが、3月16日位から段々と報道が大きくなるにつれて発足してきまして、僕も高橋様のお宅で物資の仕分けとか収集をやらせていただいたり、何をしたら良いか分からない人があまりにもここにいて、メッセージボードにメッセージを書いて写真を撮って、被災地に「今は時間がかかって準備してるよ」という姿勢は見せたいというのを東京のローターアクターが考えていて、全世界的に発信して協力してもらったり、約10日位でロータリー・インターナショナルのHPにも載せてもらえる位広がってきて・・・

個人的に『原子力発電所ナビ』を作って、3月19日位にリリースしたんですけど、まさかこんなに流行ると思わなかったのですが、10日位で1万人の人に閲覧してもらって、これは何をやるかというと自分の現在の位置から発電所までの直接距離を出すというものなんですけど、Yahoo!ニュースとかでも取り上げてもらって、大きな影響力を持った取り組みになったと思います。

国によっては情報のフィルタリングがされているみたいで、何が本当なのか、情報が分からないっていうことが多いんですね。

バルセロナの人達とは週1回位、Skypeでミーティングをしているんですけど、最初話した時には、「東北地方の映像は見たことあるんだけど、東京で起こっているんだ」と勘違いしていて、なぜ連絡がつくのかと驚かれていました。

日本の情報というのが、色んな人を介してすごく歪曲した形で広まってきているのに仲間内でもあるってことに気づけたのが、第3エーカーという風に思っております。

ジャパンニというのは、日本の映画や食べ物を振る舞いながらチャリティの募金箱を用意して集まったお金を、ジェーラーシックの方に送ってというプロジェクトのようです。


こういった活動をしてまして、4日間被災地に行きました。

帰ってきてからはミーティングをして、今後の支援体制をどうするか話をしています。

西日本の方は先週、広島・山口の年次大会に行ってきたんですけど、全然震災の「ヒ」の字もない発表内容で、体感してないとそういったものに対する危機感はあまり持てないのだと感じました。

特に向こうは節電をしても効果がないし、何をしたらいいか分からないという感じで、これから考えようという状況です。

今回、『アムダ・ノエビア国際ロータリー2780地区プロジェクト』に参加動機としては、後藤ガバナーから、なかなか行ける人がいなくて困っているという電話をいただきました。

でしたら「仕事は調整できるので出してください」ということで、堀川様と連絡を取らせていただいて、何をしていいのか、何をしにいくのか分からないままですけど、とりあえず現地のお医者様と医療従事者の方達が、「直の専門職に徹せられるようにしてください」というお話を聞きましたので、それだったら僕も頭をフル回転させながらできるんじゃないかと思いまして、「今その時にしかできないことがある」という風に思いまして、行ったような感じです。

義務って感覚よりも、「行かせていただける」という感覚で、そういう姿勢で今回は参加させていただきました。

被災地の現状は、動画の方で見ていただければと。

志津川中学校という所に行く途中の様子ですが、ほぼ見渡す限り瓦礫の状況で、延々とこれが続きます。

「Googleストリートビュー」で見ると、地形が変わっていたり、川が無くなっています。

今回これを見て、「原型を止めていない状況」というのが分かりました。

僕は南三陸町だったんですけど、未だにブルーシートにくるまれて運ばれて来る人もいたので、とてもカメラを向けるのは難しくて、町並みを撮るだけの状況です。

写真で見ると「凄惨だなぁ」という感じがするんですけど、臭い・粉塵・人々の雰囲気が如実に伝わってきます。

特に、臭いがもの凄いです。

外よりも建物の中の方が「人の脂」の臭いとか、腐敗臭がしている状況です。
報道では伝わらない衝撃っていうのが強かったです。
見渡す限りの瓦礫もそうですけど、臭いが凄まじかったです。

外に出ると瓦礫の粉塵が乾いて盛り上がっている状況で、天気が変わりやすい時期に行ったのか、朝は雪が降って、昼は晴れて、夜はマイナス6度だったり変な天気だったりしました。

周りが杉林で、花粉が飛散しているんですね。

花粉症の方は本当にしんどそうな感じで、被災者の方々も花粉症の方々が多くて、大変な生活をしているなというのが第一印象でした。

報道にも違和感が出てきて、自分や家族の写真を探す傍らで、ここを歩いてくださいとか撮影しているのはしらけるし、他の人達もやりづらそうでした。

AC(公共広告機構)のCMが結構炎上してましたけど、節電しようとラジオで流れてきても南三陸町は電気が通ってないので、曲の1曲でも流してくれれば気持ちが落ち着くのにと思い、ACが流れてきたらラジオを消すみたいなことをしていました。


「情報の錯綜」という意味では、ダブルスタンダード・トリプルスタンダードになってしまいして、災害対策本部と現地でやってる人と協力してくれる人という、いくつかの助っ人ホルダーに分かれた場合に、「こっちはこうやってやってる」ということのがリアルタイムでやり取りできないので、凄く大変でした。

例えば、災害対策本部では緊急で受け入れ準備をしているのに、直で搬送したりとか、手間や余裕のない状態の情報の錯綜が、非常に人間関係を難しくさせるというのが、辛かったです。

次にアムダの調整員としての動きなんですけど、簡単に言いますと各お医者さん・看護士・薬剤師とか、専門職を持っている方が使える時間を最大限多くする為に、色んな雑用だったり、自治会やコミニティとの交渉、「精神科の先生をこちらに回してほしい」とかスタッフの動きの管理をやる役目です。

1日目はヘリだったんですけど、被災地に行くに従って町がない光景があるということで、言葉をなくすような状況でした。

最初の日はヘリポートに到着して、南三陸町のメイン基地に泊まって、前任者からの申し送りを受けて、荷物整理等を始めました。

それが午前中で、午後はいきなり巡回診療に行きまして、右も左も分からない状況で始めたんですけど、働いているスタッフが気持ち良く動けるように行動するという所だけ守ってやりました。

1日の流れとしては、巡回診療と拠点診療がありまして、拠点診療は避難所をベースに診療をやる所です。

巡回診療は、避難所から自宅に戻った人を対象に医者が一軒ずつ回って、「薬の足りない方いませんか、具合の悪い方いませんか」とヒアリングするというのを、一軒一軒掘り起こしするという活動をしていきました。

最初に公民館みたいな所を地図で洗い出して、高齢者がいる家庭を聞いてから、1日2〜3時間でも10軒回れない位のペースで、現地医療スタッフに申し送りの形で引き継いで、巡回診療を終える流れです。

5時50分で活動を終える理由なんですけれども、6時になると真っ暗なんですね。

電気・ガス・水道が未だに通っていなくて、20日位に復旧見込みがたったという情報が入ってきている位で、僕がいた時には電気とか発電機でテレビとか映してた位でした。

真っ暗になると道とか走れないので、という訳で、6時には活動は撤収していた状況でした。

6時過ぎに本部報告だけ行いまして、それは災害対策本部なんですけど、気になる患者や発熱患者っていうのは、特にインフルエンザとか流行性のあるものに気をつける為の報告で、色んなチームが活動してますので、特別な薬剤などが必要なケースとか、ケースバイケースで効率が悪くなりそうな情報を早めに本部に上げる、という報告をしています。

あとは給油をするんですけど、医療従事者であっても優先的に出来ないので、決まった時間に行くしかないといった状況で、運転できる人やお医者さんの時間が割かれちゃったりして大変なんですけど、給油に行きました。

全部手で入れるので、給油時間も一回一回時間がかかりました。

途中、アムダの代表に「本来のあるべき医療体制が移行するまで必ずやってくれ」という形で、「医療という形さえ戻せば地域医療の循環が生まれてくるので、ただの診療をやりつづけるのも駄目だからそういった意味での撤退時期も考えていこう」とお話がありました。

ミーティングの方も何があったか全部共有してから、僕は議事録を作成して、アムダの方に送る作業をしていました。

結構大きめの地震がガンガン起きてまして、小学校が縦にガンガン揺れるんですよ。
震度5か6だと思うんですけど、最初は結構怖かったです。

2日目位から慣れちゃって、10時位まで作業していたんですけど、全員が爆睡してしまっているような地震慣れをしていました。

地震慣れも良くないんじゃないかと、思ったりしました。

2日目はそれなりに仕事慣れしてきて、災害対策本部でのやりとりを中心に、なるべく手間を取らせないようにポイントだけ絞って聞くようにして、雑用は僕がなるべくするようにしました。

一回そこで大きい地震が起きて、津波注意報が出て1時間位待機という状況もありましたが、巡回診療もきちんと割り当てられたエリアをしっかりやって、こなしていきます。

特に町のコミュニティーで、区長さんみたいな人達と現状の医療技術の体制を解説しなくちゃいけなくて、大変なんですよ。

いつもならWordで作って印刷する所を、印刷ができないので、手書きなんですね。

配る相手も沢山いるので、どうやってその紙を用意するかと言う話になって、僕がたまたまカーボン紙を持ってきていたので、それで5枚位書いて渡せたんですけど、そういった単発で入った医療ミスの掘り起こしや緊急医療対応、投薬配達なども巡回診療で行って、近い所から来ている県の社会保険協議の方に、「この地区の定期的な対応をお願いします」と引き継ぎを行って、巡回医療での調整委員としての役割をしました。

保険医さんが色んな自宅を回っている時に、途中で患者さんがいるので看てほしいとか、そういう要請・要望もガンガン入ってきまして、動かせるドクターは2・3人しかいないので、どう効率的に割り当てるのか苦労した一日でした。

色んなお医者さんがいるので、「いつどこで誰が何を活動している」というのを予め予定を立てておかないと、難しいなと感じました。

基本的に予定表を作成すれば、予定通り動かないんですけど、「こういう所に行く予定をこう変えるから」、とすると見やすくなるので、カーボン紙を使ってスタッフ全員に書かせて量産して予定表を作って渡しました。

お医者さんごとに名前を書いていって、どこで何をしているか書いていくといったものを教室の黒板に朝に貼っておいて見てもらい、調整を行っていました。

アムダ本部とやりとりする際に、「物品供給の要望はあるか」と聞かれ、ACの携帯充電器がほしいとか、スリッパを早く持ってきてとか、2リットルのミネラルウォーターがほしいとか、色々やり取りもしたり、向こうが提案してくれたことをしたり、現地のお医者様に医療ニーズの確認をしたり、事務的な手続きも平行してやったり、調整員として動いておりました。

復興もこの3日4日で進んできた状況です。

1つだけ言いたいことは、「震災前に取ったワカメを食べなさい」と言っていただきました。

本当に嬉しかったです。
これはワカメサラダに。

「これから何をするか」ということで、まとめに入りたいんですけど、マスコット的な支援で終わっちゃ駄目だと思うんですね。

現地の復興支援のニーズを掘り起こして、答えていく支援体制を構築したいと思っております。

そのために気をつけなければいけないことは、「雇用支援をすればいいのではないか」というのは、支援したい側の気持ちであって、「被災者や被災地域の人が自立に向かうような支援」が良いと思います。

ローターアクターとしては、僕は集約する立場にあって、ロードマップみたいなものを作って、被災地の人道支援とか義援金などを日本全地区で個別に取り組んでいけるように、ローターアクトではやりたいと思ってます。

その時に色んな主体の方がいるので、どんな活動なら、例えば「被災地域ではない主婦の方でもできるのか」と、巻き込んで考えていくこと地区でをやっていきたいと思います。

次年度の地区の代表は、僕の所で一緒にやってる幹事でアズマ君っていう方がやってくれるんですけど、一緒に彼も被災地に行ってますし、日本のローターアクターとして被災地域で復興支援、今回の震災で埋もれてしまった被災地域をしっかり洗い出していきたいと思っております。

以上で終わります。


(拍手)


【鎌倉RC:中西功】
どうもありがとうございました。

復興支援はこれから1年かな、これから何年も続いてやって行かなくちゃいけないと思っております。

アムダの方は大事業?の方向に奨学金を出すことを進めております。
4月21日に菓子を送るつもりだったんですけど、現場の方の意向でまだ無理だということで、中止しましたけども、確かに現場の技術というものをやってかないと、色んな支援も行き違いが起こるんじゃないかと思います。

本当に今日はありがとうございました。


(拍手)


【平塚湘南RC:高橋烈雄】
どうもありがとうございました。
それでは5時に終わりたいので、質問をお受けしたいと思います。

具体的なもので良いと思うんですけど、質問書を渡してください。
どなたに質問するか、最初に言ってください。



【大和RC:伊藤健司】
大和で震災関連の事業を行っていくうえで、例えば地区内で同様の活動を行いたいクラブもあると思うんですね。

そういった意味でクラブと他のクラブの状況を示すのは、会報レベルでは遅いと思うんですね。

刻々と変化する状況が公開されて、その情報が共有できると、その地区としてのスケールメリットや新しい気付きが生まれるのではないか。

そういった震災関係のHPや、意見の交換ができるようなものを作っていただきたいです。


【鎌倉RC:中西功】
実は我々の方ですね、そういう所は救援の方にやってましたので、今月の21日にうちの方で委員会をやりまして、今のご質問の方向でやりたいと思っております。


【平塚湘南RC:高橋烈雄】
今回の震災は突発的なものですね、ですけど従来の社会奉仕活動と言いますのは、地区協が終わって、色々話し合って、地区のニーズ・福祉課とかのニーズを聞いて、予算が対応できるか。

役所ができないニーズを知って、1年間の社会奉仕計画を作って、提案書に書いて、決済されます。

それに沿って作業をするのが原則なんですけど、今回みたいな突発的なものは臨機応変に情報を地区から対応するのが宜しいんじゃないかと思います。

他にございますか?


【茅ヶ崎中央RC:石田忠勝】
地区の補助金が、社会奉仕委員会に補助金の要請がありましたので、私ども独自に中西リーダーも仰った地元の市役所と相談をしまして、福祉関係の支援をしたいということで、話が始まってたんですね。

現状こういう事態になりましたので、補助金もカットになり、各クラブには配らないことになったので、クラブとしてはそれなりに支援をしようと思っていたんですけど、今日来てみたら、震災に特化したという話が出ておりますので、地区からの指示を待った方が良いのか、独自に活動した方が良いのでしょうか。


【平塚湘南RC:高橋烈雄】
やはり金銭的なものは、地区で集めて、ガバナー会で出すことが決まってるんですね。

各クラブ・個人でやる時は資金援助してると思うんですけど、クラブとして集めて、地区がそれを全国のガバナー会の事務局に送るというアレができているそうです。

各クラブでやることは、地区に指示はできないと思いますけど、次期の社会奉仕委員長は新しい情報の元にクラブや地区で協力するということが出てきましたら、ご連絡がいくと思います。


【茅ヶ崎中央RC:石田忠勝】
もう一点、社会奉仕委員会で活動計画を立てるんですけど、その辺の所は金銭的な支援は委員会以外でやるんですけど、費用としてはどうしたら良いでしょうか?


【平塚湘南RC:高橋烈雄】
これは、クラブの社会奉仕委員会が独自に決めることですから、共通する点も他のクラブと同じ所もあるかも分かりませんけども、その地域にあったニーズに汲み上げて計画していただければ良いと思います。


【かながわ湘南RC:アライ】
現時点で、みんなの目が被災地に向いているんですけど、今後、中長期的に考えて行くにあたって、例えば「北の方から避難されてきた方々をどういう風に2780地区の近い地元で受けていくか」も、1つ社会奉仕として考えていくことだと思っているんですけど、委員長としてはどうお考えになりますか?


【鎌倉RC:中西功】
これは実際問題として、地区で扱うのは不可能だと思います。

個々的にできる範囲で対応するというのがスタートで、地区が取り上げてどこか施設を確保してというのまでは無理だと思います。

ロータリーの奉仕は、スピード性とニーズに合致するスピード性なんですね。

起爆剤になって、それぞれの支援団体であったり、地元の役所に「こういうニーズがあるから頼みます」と言って、バトンタッチするのがロータリーだと言われているんですけど、なかなかそれも難しいですね。

基本的な考えはそうで、今仰った具体的な例は、地区が対応するのはなかなか難しいですね。

クラブで他のクラブにPRすると、地区はそういうことは逃げませんので、協賛クラブを見つけてやっていくこともできます。


【海老名RC:蛭川浩一郎】
取りまとめとして、情報の地域で何が足りていないか、何が復旧している・していないなどの色分けや、1日に必要なもの、1ヶ月に必要なものの予測、食料や油などや、それが今どのような状態かパーセンテージで、1日に必要なものと現在のものを取り置きを含めて計算をする。

数字で取りまとめている所は、まだどこにも無いと思うので、漠然とした贈り物よりも、重複などもしっかり考えなければならないと思いました。


【綾瀬春日RC:塚原吉雄】
南三陸とか大槌とか、場所によってまだインフラの復旧状況が違うので一概には言えないんですけど、1番酷いって言われてるのが南三陸町で、南三陸町では僕が行った次の日に「サンフリーランス」っていう表を作って、医療人数を把握すると共に、生活状況・物資の配達状況・薬の状況など色んなものを確認する為にやりはじめました。

でも、あの対策本部の状況では集まっていたものを分析・解析したりすることは、リーダーシップを持った人がいない限りは、紙の山になるような感じがします。

理由は、カルテを全部紙で管理してまして、それを報告するんですね。

引き継ぎをする際に、どこにあるか分からないこともあったり、一応管理されてるんですけど、見つからないこともあります。

そういったものは数字で知りたいですが、やり始めているが、できていないといった所です。


【鎌倉RC:中西功】
私が、舵取りというかで物資を送ろうとしたとき、飲み水よりも、手や顔を洗う水が無い。
ですから、「化粧品より水をください」と言われました。

各自治体に災害用の水が確保されていているので、それを確保しようかと思うんですけど、まずは水が足らないので、水洗ができないので、トイレの問題は最後まで、今ノロウイルスも解消していると言いますけども、現地に行って、トイレだけは悲惨ですよ。

まず新聞紙を敷いて、その上にして、その紙を外に捨てるという形を取らない限り水洗が使えませんから、そういうようなものとか、まだそういう所があるんですね。
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