この度の未曾有の大地震、東北地方太平洋沖地震の被害者の皆様には、心よりお見舞いを申し上げます。
また、多くの犠牲者の皆様には心よりお悔やみを申し上げます。
私はこのたび、3月20日から22日に渡り、地区の奉仕プロジェクト委員会社会奉仕委員として、委員会の命を受け、救援物資を岩手県の大きな被災地の一つの釜石市の北上に位置する大槌町に(被害は最大級)、4トントラックに満載の救急支援物資を届けてきました。
地区社会奉仕委員会・委員長の平塚市の自宅に、奉仕プロジェクト委員会の皆様が集合され、午後3時ごろより依頼した運送会社のトラックに積み込みを開始、午後5時に一路、大槌を目指し出発いたしました。
搭乗人員はトラックのドライバーさんと私の2名です。
平塚より国道129号線を約20分、東名高速厚木インターチェンジから首都高速道路を経由、地震・原発事故の関係で一般車両の通行禁止になっている東北自動車道を一路、花巻インターを目指しました。
(我々の車両は災害物資輸送車であるため、地元警察より発行の『緊急車両パス』をトラックに添付して有りますので通行可能。高速代金も全て無料でした。)
料金所を通過する際には何処の通過ゲートでも、徴収係の皆様に「ご苦労様!」と声をかけられたことは長い道中、大変励みになりました。
途中、上高地サービスエリアで軽い夕食を取り30分休憩、再び東北道をひたすら北へ。
翌日午前2時30分、花巻インターから釜石有料道路を経て、投宿先のアムダの方々の拠点である花巻市東和のフォルクローロ東和に到着。
ここまでの所要時間、9時間30分。
アムダの方々と挨拶の、後時間も遅いので簡単に打合せ。
3時間ほど仮眠を取り、6時30分起床。
朝食後、燃料給油に再び花巻へ。
ホテルに戻り、物資の届け先の確認等、打合せ。
10時30分出発、国道283号線を遠野・仙人峠を越え、釜石市より国道43号線で大槌町へ。
岩手県の自然の中の景色を見ていると、とてもこの先に地震・津波による大災害の地があるとは思えないほどでした。
アムダの本部の岡山県から、はるばる物資輸送の大型車と合流。
釜石市内に入ると、突然異様な光景が目前に迫ってきました。
信号機の作動していない交差点では、兵庫県から応援に来た県警の警察官が、手信号で交通整理をしていました。
北海道警察のパトロールカーもありました。
道路の両側には、信じられないくらいの建物の残骸が数キロメートルにわたり続き、辺りの木造の建物はほぼ全滅、鉄骨造・鉄筋コンクリート造の建物も形こそあれど、とても再居住できるものではないことが一目瞭然でした。
物資輸送車は海岸沿いを走り、高台に位置する目的地の「岩手県立大槌高等学校」に到着。
車中より、津波に飲み込まれた湾のすさまじい傷跡には、思わず絶句したほどです。
到着時刻の午後12時40分。
アムダの方々が受付を済ませた後、いよいよ物資の荷降ろし作業。
避難所の皆さんの協力もあり、多くの物資が瞬く間に体育館に整理されながら運び込まれました。
荷降ろし終了後、私は避難されている数人の方々とお話をすることが出来ました。
一つ一つ言葉を選びながら、まずは現在の心境をお聞きしましたが、どなたもあまりにもむごい現実に不安感を募らせておりました。
食糧事情においては、多方面からの支援物資も届き何とか・・・という状況!
生活面では、なんと言っても医療関係です。
医師の不足はもちろんのこと、医薬品の不足、衛生面も決して良くはありません。
地震発生後一週間を過ぎて、男女を問わずお風呂にも入れない状況が続いています。
ご高齢の方、そして乳幼児のことが大変気になりました。
そのほか、まだまだ不足している生活物資は多々あります。
全国の皆様からの支援を、大槌以外の被災地でも待ち望んでおります。
善意の行動を期待いたします。
午後3時、後ろ髪を惹かれる思いで大槌を後にして釜石市内に戻り、釜石中学校・市内双葉小学校の2箇所の避難場所をお見舞いしました。
いずれも、大槌と同じ状況でした。
どの避難所の入り口にも、行方不明者の安否が張り出されている手書きの掲示表には、心を痛めました。
東北の午後は、寒さが身にひしひしと感ぜられます。
午後5時、冷たい小雨の振る中、何とも言いようのないもどかしい気持ちを抱きながら帰途に。
全く往路と同じ経路で、東北道花巻インターに。
午後6時40分。
大変疲れたと思いますトラックのドライバーさんに途中休憩をしていただき、東名高速厚木インターチェンジを午前4時30分に通過、午前5時丁度に海老名市の自宅着。
結果、一泊三日の大槌への災害物資支援活動となりました。
災害は何時、いかなるとき起きるか分かりません。
また災害に遭遇した時、人間は一人ひとりが、なかなか落ち着いた行動はできるものではありません。
何事にも備えあれば憂いなし!いざ!の時の物品だけではなく、このたびの東北関東大震災による“教訓”を、犠牲者になられた方々の魂の分まで生きることへの執着心を、あらためて考え直そうではありませんか。
平成23年3月25日
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