皆さんこんにちは。
私はサブリーダーで第4グループのガバナー補佐をしております、池亀と申します。
本日は宜しくお願いします。
今まで、中西リーダー・高橋サブリーダー・小西サブリーダーが、地区の社会奉仕をお話していただきました。
本来は今まで発表された中で、皆さんのお役に立てるはずの「社会奉仕の事例発表」の時間だったのですが、皆さんご存じの通り、
本会議で中坪さんが発表した通り、東北大震災で急遽私の所に震災に駆けつけていただいた方に、その模様を発表していただきたいということで思っております。
最初は、事例発表していただきたい所は、春日RCのコスモス事業、平塚南RCの平塚学園高校のローターアクトの私たちが出来る環境のまとめ、2つとも素晴らしい事業でございまして、皆さんにご紹介をと思ったんですけど、いっそこんなことで災害に付いての委員会にさせていただきます。
今回ですね、中坪さんは計画的に説明をしたんですけど、私が茅ヶ崎中央RCにいましたけれども連携のきっかけは、これは最初茅ヶ崎中央RCで「寄付金がいかに使われているか分かる団体として入らなければいけない」ということで探していた所、アムダという所がございまして、ただ手紙とかそういうものではなくて、直に岡山で会員になるんですね。
堀川と次年度会長が岡山までわざわざ新幹線で行って、アムダの菅井先生にお会いして、それがきっかけでアムダと付き合いが始まった訳です。
今年の第4グループのIMの講師が、アムダの先生なんですね。
2月19日に、第4グループの講義を行いました。
その時に、『職業奉仕の原点』という形で講師をしていただきました。
先生はお医者さんなんですけど、自分の病院を売って、『国連NGO緊急医療』という形で世界各国飛び回って、「命がある限りどんな方でも助けよう」と動いていることですね。
非常に私が感銘を受けた言葉の中に
「非常事態の時は通常の対応は通用しない。スピードがまず大切なんだ」
・・・ということを言っております。
それと、
「困った時はお互い様。してあげるのではなく、一緒にやることなんだ。」
これはロータリーで言う「相互扶助の精神」と似た所があります。
まずその中に、信頼関係を結ぶにあたって、「相互に動いてくれる人なのか、動いてくれない人なのか、この人は裏切らないで私の頼んだことを即座にやってくれるのか」は、第4グループの会合の時に非常に感銘を受けました。
こういうことを言っては、本当に被災地の方には申し訳ないですけれど、懇親会費を全部アムダに寄付したんですね。
一部の方から批判は起きましたけれども、そういうことをして、これが3月11日にこんな状況になるとは、一向に思わなかったです。
それでもって、「ロータリーさんで何とかしてくれないか」と、「暖かいものがほしい」と、「ホッカイロでも良いから運んでくれないか」ということで、私は東北に娘がおりますので、必ずホッカイロをくれるんですね。
そのメーカーはどこか聞きまして、紹介された所は駄目だったんですが、インターネットを探して、『株式会社ダイレクト』という所に電話をしましたら、
「お分けしてあげますよ、1つ14円50銭です」ということなんですね。
すぐに運ばないといけないと伝えると、社長さんが会社が兵庫県なので阪神淡路大震災の時に大変お世話になったので、しかも有効に届けてくれるんであればお分けしましょうということで、いただけたんですね。
このすぐ後、当日は次の日に着きましたから宅急便でですね、東京までは行くが、トラックが行かないんですね。
数も多くなったので、重たくて当初はライトバンで行くつもりだったんですけど、トラックで向かいました。
3月17日に私もトラックでそれを運んで、警察の許可をいただいて東名から全部フリーパスで最後まで、被災地の中までそれを持って行って参りました。
その後、すぐ高橋さんのいる地区の社会奉仕に動いていただきまして、これも発表していただきたいなぁと思っております。
中西リーダーも仰るように、非常に日々状況が変わっております。
最初は確かに、古着でも何でも全てが流されてしまったんですけど、日々状況が変わっております。
現場では、まだ電気も点いておりません。
ストーブも、500人いる所に3つぐらいしかないから寒いです。
心のケアなど、色んなものが必要です。
芸能人も行っております。
今後とも、長くこうなるんだと思います。
1番最初に、地区社会奉仕委員の綾瀬春日RCの塚原吉雄さんにお願いしたいと思います。
宜しくお願いします。
【綾瀬春日RC:塚原 吉雄】
ただ今ご紹介いただきました、綾瀬春日RCの塚原と申します。
昨年度は同じ委員長のもと、社会奉仕に努めさせていただいて、次年度も小西委員長のもとで社会奉仕をもう1年間努めさせていただきます。
先ほど、全体会議の時に中坪さんから今回の震災について、大まかな説明がありました。
その際に、『アムダ』という聞き覚えのない言葉を聞かれたと思うんですけど、先ほど第4グループのガバナー補佐の池亀様にお願いしまして、私がこれから説明するには、アムダの説明をしていただければ、私の説明が続いていくということでお願いをした次第でございます。
これから説明に入らせていただきますが、時間の都合上飛ばさせていただきますので、ご了承願います。
東日本大震災は皆さんご存じのことかと思いますけれども、3月11日、日本にとっては未曾有の大災害となりました。
624キロと書いてありますけども、千葉・茨城・岩手・福島・宮城と広範囲で、特に気仙沼・石巻・南三陸・大船渡・仙台・釜石と17日に行かれました大石町、ここまでの距離ほとんどがリアス式海岸に沿った被災地は壊滅状況になっております。
マグニチュード9の、1900年以降、世界で4番目の大地震であるということで、4月14日現在死亡者は13056人、未だに安否不明なのはそれより多い14851人、被害にあった漁船は22000隻以上、被害にあった農地は「津波によって壊滅」と言っちゃおかしいですけど、23600ヘクタールという被害を受けております。
その被害総額は、16兆〜25兆円にあたるのではないかと言われておりまして、日本最大の災害になったと思います。
今日は地区の社会奉仕委員としまして、震災復興の為に先ほど申しました岩手県の大槌町に救援物資を届けた時のことを、写真を交えて報告させていただきます。
社会奉仕委員長の高橋様のお宅が平塚にございまして、先ほどお話しにもありましたけど、救援物資の準備から始めたんですけども、私自身が行った経緯は、震災に対してどのような支援をRCとして、一クラブとして、直後に堀川様が動かれまして、行動になった訳ですけども、2・3日過ぎてから地区に招集されまして、お話を聞いた時に大変素晴らしいことをしたと敬意を賞する所でございます。
平塚から厚木ICを抜けて、当時は震災直後ということで、消防車両・自衛隊車両・警察車両と、我々が警察からいただいた「緊急パス」を持った車両のみの通行となっておりまして、比較的道路は悪いですが、
(写真を見せながら)これはその時もらった緊急パスですが、これを貼っていると、どこの料金所を通っても『本当にご苦労様です』という言葉をかけられたのは、とても心強かったです。
東北道をIC花巻で降りまして、峠を乗り切ると釜石に着きます。
釜石に着くまでは、非常に普通の光景なのですが、湾に着くとこれからお見せする情景が出て参ります。
このように、荒んだ光景が見えて参ります。
我々は午後5時に平塚を出まして、花巻を通り過ぎて、東和という所に午前2時半に到着しました。周りは雪があって本当に寒いです。
翌日3時間程仮眠を取りまして、給油をしました。
記念撮影をしていたところ、現地のかたが話しかけてきて目的を話したところ、この場所で跪いて涙を流して「地元の人間ができないのにそんな遠くから本当にありがとうございます」と感謝の気持ちを言っていただいて、私もその時は涙が出ました。
釜石に入ると自衛隊が道路の道が塞がれているので、重機を使って車が奥に行けるように準備をしていただきました。
手前は普通の情景なのに、線で切ったように、これが天災なんだという情景がずっと続きます。
手で押したように建物がぺしゃんこになっていたり、津波によって人間が住めるような状態でない建物が沢山ありました。
目的地の大槌小学校に到着すると、アムダの方が現地にどのように物資を渡すかを相談し、物資を分類していないと、現地が大混乱になってしまいます。
中には被災地の方が何十人と待機していて、物資ごとに分けて荷下ろしをしてくれました。
たまたま取材に来ていた「岩手めんこいテレビ」に私は取材を受け、目的を話したところ、翌日の放送に3分流れました。
自転車は、喜ばれた品物の1つです。
「各小学校に自転車を1台ずつ運んでくれ」という依頼を受け、釜石を出たのは7時で、翌日の午前5時半に着きました。
1泊3日の強行なスケジュールになってしまいまして、非常に喜んでいる方がいらっしゃるのであればと思いまして、疲れている中でしたが、精神的には「良いことをしたんだ」と感じていたので、さほど疲れは感じなかったです。
大槌高等学校の運動場に、海上自衛隊のヘリコプターが医薬品を積んで物資を下ろしていたりしていました。
手で団子状にしたような車や鉄骨の建物も沢山あり、改めて津波の怖さを知りました。
今回の茅ヶ崎中央RCの皆さんが率先して動いた行動は、地区から緊急の委員会が開かれまして、私も出席しましたが、まさしくこういった行動は、ロータリアンの人道的支援に匹敵するものではなかったかと思っております。
しかしながら、『被災地復興』というのは、これから始まると思います。
私は職業で建物の解体工事をやっておりますので、これを片付けるにはどれ位かかるだろうと現場で思いましたけれども、よほど思い切った対策をしない限り、何年かかっても解体業者が片付けられる状態ではないと思います。
今後、我々はロータリアンとして、どのように支援の輪を広げていけば良いのか皆さんで協力いただきまして、「RCとしてのこれからの考え方」をまとめていただければという風な個人的な意見を言わせていただいて、私の報告といたします。
ありがとうございました。
(拍手)
【鎌倉RC:中西功】
ありがとうございました。
私も大槌に行ったんですけども、弓道場に500人の避難民がいたんですけど、そこを面倒見ている代表の方が大槌RCの今年度の会長でした。
この大槌RCは、彼だけしか生き残ってないようです。
10人のメンバーの内、まだ何人生き残っているかは報告がありません。
2520地区では、この自治体にあった町が全部で16カ所あったかと思うんですが、今回かなりの方がお亡くなりになられていると思います。
本当にご冥福をお祈りいたします。
ここで10分間休憩にいたします。
質問の用紙がありますので、質問のある方は紙を出してください。